◎AIR JORDANの人気の理由
今も尚、絶大な人気があるスニーカーブランドのエアジョーダン。その人気スニーカーの知られざる歴史や、エアジョーダンの生みの親である、マイケルジョーダンについて、いま一度ご紹介していきます。この記事を読み、より知識を得ることで、更にスニーカー愛が深まること間違いなし!です。
まず、1番初めに必ず知っておいて頂きたいのが、エアジョーダンのスニーカーの歴史についてです。そもそもエアジョーダンとは、スポーツシューズのスニーカーブランドである「ナイキ」から発売されている、エアジョーダンという名前のシリーズ物のスニーカーとなります。
初めてエアジョーダンが発売されたのは、1985年9月です。当時、NBAのバスケットチームで活躍していたマイケルジョーダンという人物が、シグネチャーモデルとなって販売されたスニーカーです。
発売当時は、「Air Jordan 1」という名前で販売されており、その気になる値段はというと、$65 USD(約8,100円)でした。現在価格で言うと、約18,000円相当となります。
エアジョーダンという名前には、2つの意味を込めて名付けられました。
1つめは、エアジョーダン(AIR JORDAN)の “AIR”にちなんで、シューズのエアユニットのクッション性の技術が非常に高いというアピールを含んでいるということです。2つめは、マイケルジョーダンのニックネームの”エア”から名付けられています。
また、この”AIR”には、もう1つの意味も込められており、バスケットボールのダンクシュートの長い滞空時間の”AIR”にも掛けられています。
このエアジョーダンが、世界的な人気になった理由はというと、せっかくバスケ界で大人気だったマイケルジョーダンをモデルとして作られたエアジョーダンは、実は、NBAの公式試合では使用が禁止されたことをナイキ側は知っていながらも、マイケルジョーダンに試合の都度、着用してもらうというプロモーションを行っていたからなのです!
どういう事かと言うと、エアジョーダン1は、発売当時、マイケルジョーダンが在籍していたシカゴ・ブルズというチームカラーである、レッドとブラックを基調としたスニーカーとして販売されていました。
ですが当時、NBAの規約として、当時のNBAコミッショナーであったDavid Sternという人物は、スニーカーを白以外の色にしてしまうことにより、ユニフォームの統一性に欠けるので、白いバスケットシューズを着用すること、また白い部分の面積が80%以上のシューズを使用すること以外は着用を禁じるとしていたのです。
違反だとわかっていながらも、ナイキ側は、エアジョーダンの着用をお願いし続けていたので、マイケルジョーダンが1試合に着用する度に毎試合5000ドル、(当時約40万円)の罰金が課せられていたのです。
ナイキ側は、この事件を逆手に取って、事件を取り上げたテレビCMを頻繁に放映することにしました。
「9月15日、NIKEが革命的なバスケットボールシューズを発表。10月18日、NBAが試合でそのシューズを履く事を禁止。幸運なことに、あなたがこのシューズを履くことをNBAが止めることはできない」
このようなナレーションがあり、CMは30秒ほどでしたが、エアジョーダンにクールなイメージを世間に与えることが出来ました。この方法によって、エアジョーダンは大いなる人気を集め、それがとてつもない成功へとつながっていったので、ナイキ側は喜んで罰金を支払っていたのです。
当初は斬新で前代未聞のカラーを使用したスニーカーだと言うこともあり、エアジョーダンは、発売当初からすぐに爆発的な人気があった訳ではなかったのです。大流行の火付けとなったのは、やはりエアジョーダンを身にまとったマイケルジョーダンが、バスケ界で飛躍的な活躍をしていたからこそ伝説的なスニーカーへと変貌したと言えます。
そしてもう1つ、エアジョーダンは人気を獲得した理由があります。
それは、今までになかった高い技術性を兼ね備えていたからです。例えば、ソールのクッション性や、足首の保護など、スニーカー愛用者たちがスニーカーに求めていた要素が詰まっていました。
それまでに良く発売されていた当時のキャンバス製のスニーカーに比べて、エアジョーダンはレザー製の頑丈な作りであったというのも、ハードなパフォーマンスをしているスニーカー愛用者によって支持された理由の1つにもなっていました。
エアジョーダンのシグネチャーモデルとなった、マイケルジョーダンについての人物エピソードもチェックしておきましょう。
マイケルジョーダンは、1963年2月17日にニューヨーク州のブルックリンで生まれました。バスケットボールのチームに加入したのが高校2年生です。なぜ2年生かと言うと、高校入学当時はあまりバスケットボールが上手くなく、チームに加入する事が出来なかった!というから驚きです。
高校卒業後には、ノースカロライナ大学に進学し大活躍を見せます。在学中に、全米ジュニア選抜にもなり更にはネイスミス賞とウッデン賞を受賞したりしました。1984年にNBAへアーリーエントリーを行い、全体3位でシカゴブルズから指名を受けて晴れてNBA選手となったのです。
身長198cmのマイケルジョーダンは、NBA選手としては決して大きな方ではなかったのです。そこで、「人より小さいのであれば、その分高く飛べば良い」と考え練習を重ねた結果、高い身体能力を生かしたダイナミックで美しいダンクシュートが、ジョーダンのトレードマークとなったのです。最高到達点として約392cmにも及ぶダンクを魅せたり、平均得点は30.12点でNBA歴代1位となっています。
マイケルジョーダンは、競争心が非常に強い人物で、「試合に負けたことは一度もない、ただ時間が足りなかっただけだ」という名言も残しています。
また、バスケットボールの試合とは関係のないあらゆる場面においても勝負に勝利したいという気持ちが強くある人でした。
例えば、こんなエピソードが残されています。ある空港での出来事で、誰の荷物が最初に出てくるかという賭けをチームメイトと行った際には、空港職員にチップを渡して自分の荷物が1番最初に出てくるように仕組んだ、と言うので驚きです!どのような勝負事でも、全力であらゆる手段を使って勝つというのがマイケルジョーダンの信念であったというのが垣間見れますよね。
エアジョーダン、マイケルジョーダンとも、今現在の人気も衰える事はありません。エアジョーダンは、未だに復刻版として当時のスニーカーを販売していたり、高値が付いているプレミアスニーカーも沢山あります。
マイケルジョーダンも、「バスケの神様」という称号で語り継がれており、これほどバスケ界に衝撃を残したプレーヤーはいないとも言われております。1994年に引退し、今現在は、1人目の妻との子供が3人、2人目の妻との双子の子供が2人と、計5人の子供がいます。現在は、実業家としても活躍中です。
いかがだったでしょうか?2021年になってもこよなく愛されている、マイケルジョーダンとエアジョーダンについてご紹介しました。
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